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June 20, 2009. インドで暮らす外国人の多くが口にする言葉に、「インド式」というのがある。英語ではIndian styleとかIndian wayという。 A 「おととい、夜にテレビが急に壊れて電気屋に電話したら、夜中の10時だっていうのに今から1時間以内に来てくれるって言うんだ。」. B 「へー、インド式だねえ」 (インド式=柔軟). A 「それなのに実際には、次の日の夜になっても来なかったんだよ」. B 「うーん、インド式だねえ」 (インド式=有言不実行). A 「それで電話かけて苦情を言ったら、来ようとしたけど奥さんが熱出して来れなかったって言うんだよ」. B 「うーん、インド式だねえ」 (インド式=家族が第一優先). A 「結局、昨日の夜とうとう修理に来たんだけど、中の配線がイカレてテレビ自体がだめになってるって言うからあきらめかけてたんだよ。そしたら電気屋がものはためしにテレビの裏をがばっと開けて、持ってたドライバーでいろいろいじってなんだかんだいって直しちゃったんだ。」. しかし、実際に外国人が「いわゆるインド式だ」、と感じ...June 19, 2009. レストランに行ってチ...
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i's blog: 2009.03
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March 30, 2009. 一人称で語るということ NEVER LET ME GO by Kazuo Ishiguro. この前、開高健の文体が好きだ、というポストの中で、小説のストーリーなんか実はどうでもいい、言葉が心地よければそれでいい、という話を書いたけれど、意見がちょっと変わったので反対のことを書きます。やっぱり物語はスゴイ。 週末かけて、カズオ・イシグロの “NEVER LET ME GO” (邦題:「私を離さないで」)を読んだ。何年か前に一度日本語の翻訳版を読んで衝撃を受けたので、ちょっとショックが和らいで細部を忘れたころにもう一度読み返そうと思っていたのだ。 それが、カズオ・イシグロの作品の、ふつうの一人称スタイルの小説とは違うところである。作者と主人公のアイデンティティは完全に分離している。作者は主人公の口を借りて自分の言葉を語っているのではない。作者の意図は主人公の思いとは別のところにある。その歪みから物語の別の真実を読者に垣間見せようとしているのである。私が読んだカズオ...怖い。どういうわけか英語の原作のほうがずっと怖かった。原作と翻訳を両方読んだほ...というのはӌ...
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April 24, 2009. ムンバイのマジョリティはヒンドゥ教徒らしい。イスラム教徒とキリスト教徒がそれに続き、シーク教、その他の宗教がさらに続く。ちょっと前にブログで Mumbai Meri Jaanという映画の紹介. でも詳しく書いているけれど、物語の中には、イスラム教の人々を敵視している男が登場する。彼はヒンドゥ教徒で、イスラム教徒を無差別に蔑視し、テロの関係者ではないかとかぎまわり、つけまわしたりする。物語の最後には救済があり、彼はイスラム教徒の青年がいかに自分と同じ魂を持っているかを知るようになる。素晴らしいエピソードである。 しかし、観おわった後にどうしても、これをイスラム教徒の人が見たらどう感じるのか、とちょっと心配になってしまう。ちょうどアメリカの視点から作った戦争映画で、日本兵が実は同じ心を持った人間だった、という描かれ方をするのと似たような薄気味悪さを感じるのではないだろうか。こういう現象は、一つの視点から作品を作ったときにはどうしても起こりうることである。 April 22, 2009. で原丈人さんという方と糸井重里さんの対談を連載している。それを読んでいたら&...
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September 29, 2009. 大事なのは男女の愛か? -インドにおける結婚の価値観. 先週の日曜日に、会社の上司の結婚式に出席した。一緒に行った同僚は、「これはいわゆるボリウッド式ね」と言っていた。会場は有名なお寺の結婚式場で、一応30分ほどヒンドゥ教のプジャが行われたが、かなり短い。その後カンタンなブッフェスタイルの食事。小ぢんまりして簡略化された現代的な式で、どちらの家族も特に宗教や伝統にはさほどかまってない、という印象である。 価値は相対的なのだ。正しい価値と誤った価値を見分ける方法もなければ、どの価値がより重要であるかを測るものさしもない。問題は価値そのものにあるのではなく、周りの圧力や無知によって価値を選べないことにある。たいていの人間は、自分が叩き込まれてきた価値観や、苦労して築き上げてきた価値観を世界で一番まともな考え方だと思いがちである。人間は伝統や文化のしばりから自由であればあるほど、それが人間のあるべき姿であり、幸福により近づく...しかし、日本のいわゆる「婚活」現象は実に奇妙である。若い人たちは「...最近、ジュエリーショップのテレビCM...
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October 27, 2008. 日曜日の朝、ぐったりした気分で目を覚ますと、もう10時を回っていた。ゆっくり朝食を食べてからバスルームに行くと、バスルームからベッドルームの床一面が浅い足洗い場のように水で埋まっていた。水桶の水を代えようと水道の蛇口をひねったまますっかり忘れていたのである。 私はこの種の自分の過ちに慣れているのであまりショックは受けない。「我、愚かなり」と心の中でつぶやくだけである。新聞の束を床に撒いてみたが、水の量が半端じゃないのでまったく役に立たない。水なんだから放っとけば乾くだろうという結論に至って、扇風機を最大風量で回して外に出た。 家に戻ると、水はほとんど乾いていた。水のことなんてすっかり忘れていたので、最初、なんでこんなに床が汚れているんだろう?と不思議に思った。雑巾がけをしたら、床は何事もなかったようにきれいになった。 October 6, 2008. アビシェイクは寡黙な青年の役で、クールなつもりなのかまともなせりふがほとんど無い。突っ立って憎しみのこもったような目で虚空を睨んでいるかショッカーみたいな敵をやっつけているかどっちかで...映画全体も意味ありげに...
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i's blog: 3年目のディワリ
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October 12, 2009. ブログを引越ししました。新しいURLは http:/ aikanoh.wordpress.com/. です。英語ブログと日本語ブログを合体させたブログです。これからのポストは新ブログ上でアップデートしますので、よかったら訪問してください。よろしくおねがいします。 ムンバイの町で迎える、3度目のディワリである。9月の終わりにナブラトリの祭りが始まり、それと同時に北インドの行商人が集まるクラフトフェアがやってきて、去年と同じ顔ぶれの商人が手織りの布や家具を売り、お祭りの終わりとともに去っていった。ナブラトリが終わるとすぐに街中がディワリ一色になる。ディワリは光の祭である。電飾が街中に施されて、歩道に灯篭やランタン、ろうそくや、ランゴリのための色鮮やかな粉を売る店がたくさん現れはじめる。 どこにいようと人は変わらないし、変わらない限りどこにいて何をやっても同じだと言う人もいる。しかし、人は土地によってある程度変わることができると私は思う。その人の心が柔軟でさえあれば。新しい土地には、人を謙虚...街の記憶が密になることによって、自分の実もまたがっしりしていくよ...
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September 29, 2008. もうすぐディワリである。ディワリは10月中旬にあるヒンドゥ教のお正月で、この時期になると街角の文房具屋でカレンダーや手帳を盛大に売り始める。10月2日のガンディーの誕生日からディワリにかけての時期には、日本のお正月と同じように大型の映画がいろいろ上映されるので楽しみが多い。 ドゥルガ・プジャーのための張りぼて寺院が今年もアッサム・バワン(アッサム地方の役場みたいな建物)の横に立ち始めている。ドゥルガ・プジャーというのは、カルカッタのほうから来たヒンドゥ教の人たちのコミュニティがするお祈り大会のようなもので(うろ覚えの知識ですが)、昼すぎから夕方にかけて参拝者に無料で食べ物が振舞われる。 移動はエネルギーを生む。だから、移動する人自身の中と、残された場所の両方にとって価値がある。だから、たとえば転職したいけれど勤め先に悪くて言い出せないと思っている人がいたら、こう考えたらいい。あなたはあなたにしかできない仕事をしているかもしれない。けれど、あ...物理的に、または精神的に、つねに移動し流れていくことが必要なのだ。物理的に動い...September 25, 2008.
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January 30, 2009. The Art of Losing. 1月は会社で企画したイベントの準備に追われ、気づいてみるともうすぐ2月である。1月の間に、長く一緒に働いていた人が4人会社を去った。ルームメイトが「親しい人が急にたくさんいなくなって、さみしいんじゃないの」と同情してくれた。代わりにもちろん新しい人との出会いもどんどんやってくる。しかし、やってくる人たちもまた、短い契約期間が決まっているか、いつまで留まるかわからない人たちばかりである。 12300;喪失の技術をマスターするのは難しくなんかない」、とエリザベス・ビショップは書いている。 The art of losing isn't hard to master;. So many things seem filled with the intent. To be lost that their loss is no disaster. 65288;- One Art / Elizabeth Bishop. January 21, 2009. 私は自分が企画した仕事と人から回ってくる仕事に精神的な区別をしていない。人か...
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Bombay Dog | India, Bombay, New Bombay: A fixed point observation of life in India by a Japaneses sleepy dog | Page 3
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India, Bombay, New Bombay: A fixed point observation of life in India by a Japaneses sleepy dog. Sales is like the smell of the fresh cookies from the oven in front of a Cookieman shop. To make the effect doubly sure, they pass a piece of cookie to my hand for free. It’s a killer, a bad boy. I can’t resist opening the zipper (of my purse). Pureness is the place to come back anytime when we are trapped in a business labyrinth. We have a good product that we believe other people also love it. That’...Here’...
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July 30, 2009. 仕事が楽しくなっている。人に恵まれて、新しいことやいままでやれなかったことに手をつけられるようになったことが一つ、信頼関係がしっかりしてきて、手足の自由が効くようになったことが一つ、いろいろやってきたことの結果が少しずつ返ってきて、先のヴィジョンが少しだけだが見えかけてきたことが一つ。 私はかなり物事にのめりこみやすく、一度のめりこんでしまうと自己と対象との区別が完全につかなくなるたちなので、今の仕事に関しては常に心理的な距離をとるように慎重にやってきた。メンタルが弱いので、何かと同一化して物事がうまく回らなくなったときに、いつかクラッシュするのが恐ろしい。だから神経回路が固まらないように、オフィスを出たら頭を切り替えて、家にいるときには他の好きなことをすると決めている。この一線を維持するのはなかなか難しいのだが、今のところはまあまあうまく言っていると思う。 1年単位の契約を更新しまがら、「仕事は面白いか?」と常に自分に訊ねている。1年契約だとつづけるか選択をすぐに迫られるから、常に考えない...July 21, 2009. 最近家族がそろそろ日本に帰ってこいとアピールして...