shiga-np.co.jp
滋賀新聞-駅から町へ
http://shiga-np.co.jp/2006/061202eki.html
この駅舎らしき建物が 河毛駅 コミュニティーハウス なのだ。 運営にあたるのは 河毛駅を育てる会 会長 南部厚志湖北町長 で、会員は地元のシニアたち。 役場の町づくり課参事 竹内源一さん 54 は 今進めているホーム西側のスロープ設置や駐車場拡張などのほか、コミュニティーバスを増やす交通体系の見直し、さらに駅に観光案内所機能を持たせるなど、観光客や乗降客増といった将来の駅構想に向け、着々と準備を進めている と話す。
shiga-np.co.jp
滋賀新聞-駅から町へ
http://shiga-np.co.jp/2006/061216eki.html
駅の営業開始は、明治24 1891 年6月16日 野洲町史。 橋上駅となったのは昭和47 1972 年で、その2年前に電車の基地ができ、野洲駅を始発 終着とする電車が増える。 昔の駅周辺はどうだったか 南口の近くで酒店を営む鷲田平一朗さん 81 は 駅前の道は、朝鮮人街道と交差する所まで道幅が広く、両側に柳並木があった。 銅鐸 どうたく のまち を看板にする野洲は、歴史に彩られた町だ。 平家終焉 えん の地や福林寺跡磨崖仏、本殿が国宝、楼門と拝殿が重文の御上 みかみ 神社など、歴史探訪の場所には事欠かない。 散歩中のお年寄りに 見る価値がある と勧められ、桜生 さくらばさま 史跡公園に足を運んだ。 が、中主側にも庭が国の名勝という兵主大社や、真宗木辺派の本山 錦織寺、オートキャンプ場のマイアミ浜などがあり 一体となったPRで観光客増を と期待する向きもある。 野洲のシンボル、近江富士 三上山 432メートル は、ハイキングコースとしても人気が高い。 富士と名のつく山は全国に多いが、江戸期の地誌 近江輿 よ 地志略 にはすでに 三上山、俗に呼んで近江の富士という とあり、昨今出来た呼称ではないことがわかる。
shiga-np.co.jp
滋賀新聞-駅から町へ
http://shiga-np.co.jp/2006/061125eki.html
しかもナント、ここ草津市には本当に 草津温泉 があるのだ ただし銭湯だけど。 東口に近いその銭湯を訪ねてみると、たしかに壁面に KUSATSU ONSEN の文字。 例えば目の前にそびえているのは32階建ての タワー 111 ビル。 側面に 右 東海道いせみち 左 中仙道美のぢ の文字。 休館日は毎週月曜 月曜が祝日ならその翌日 と祝日の翌日 土、日曜と重なれば開館 、年末年始。
shiga-np.co.jp
滋賀新聞-駅から町へ
http://shiga-np.co.jp/2006/061028eki.html
ただ、道の両側の軒の低い民家の軒先に 柏原宿 の木札がかかり、家の前には旅籠 はたご や造り酒屋、名物だった伊吹のもぐさ屋などのかつての店名が木製の看板で掲げられ、たった一軒だけになった創業340年を誇る 亀屋佐京もぐさ店 と道沿いの常夜灯が、静かに江戸情緒を醸し出している。 この宿場で生まれ育ったという職員の平井緑さん 55 も この町を歩くと時がゆっくり流れて気持ちが落ち着くといわれます。 地元のシルバー人材センターから派遣されている駅員の太田久一さん 68 が 乗り降りは1日100人ほどです。 柏原駅を発着にした2時間程度のコース 4.3キロ と半日コース 8.2キロ の2つの散策コースが春秋のシーズンににぎわいを見せるという。 街道周辺には中世に婆沙羅 ばさら 大名の異名をとった佐々木道誉らを輩出した佐々木京極氏の菩提 ぼだい 寺 徳源院や戦国時代に信長や秀吉などの武将が宿営した成菩提院、東西文化の接点として知られる 寝物語の里 などの史跡も点在して、絶好のハイキングコースになっている。 電話 0749 57 8020。
shiga-np.co.jp
滋賀新聞-駅から町へ
http://shiga-np.co.jp/2006/061111eki.html
昔は、ここから近江八幡まで八日市鉄道が走っていて、その本社の建物だったと聞いていますよ と、駅前の飼料販売 山平 事務所の山田喜美子さん 65。 この日、孫の修平君 八日市南小6年 が応募して入選したヘッドマーク デザインを付けた電車が走っているのだと、うれしそうだった。 この間、昭和5年にはこの駅から沖野ケ原の飛行場までの2 7キロに 飛行場線 が開通、戦時中は軍事輸送の拠点にもなった。 電話 0748 23 4587。
shiga-np.co.jp
滋賀新聞-駅から町へ
http://shiga-np.co.jp/2006/061007eki.html
県都の 玄関口 にふさわしい駅へと生まれ変わった 大津駅. 明治22 1889 年に東海道線が全通すると大津 馬場間は支線になり、やがて馬場駅を大津駅、大津駅を浜大津駅と改称する。 鉄道マニアの間では、特急が停車しない県都の駅 いまは はるか が上下2本停車 などとして、浦和駅や神戸駅とともに揶揄 やゆ の対象にもなってきた。 百町街路 寺町商店街 と改め、町のにぎわいを取り戻そう というのが狙いだ。 店の外観も徐々に江戸時代の町家風に改め、道路のバリアフリー化を進め、町のランドマークとして大津祭の曳山 ひきやま のレプリカも設置したい と。 京都に倣った 大津検定 の実施や 町並み博物館通り の整備など、大津再生プランはその他にもいろいろと進められている。 四宮神社 四宮さん とも呼ばれるのは、彦火火出見尊 ひこほほでみのみこと など四柱の神々を祭っているためとも、主神が天照大神 あまてらすおおみかみ の4代目にあたるためともいう。
shiga-np.co.jp
滋賀新聞-駅から町へ
http://shiga-np.co.jp/2006/060916eki.html
すぐ右 北 側に先のパン屋さん、さらに奥にはおしゃれなイタリア料理店 写真下 がある。 今年の阪神の優勝は微妙で、祈願札も 家内安全 結婚 祈願など一般的になるが、小崎さんの話では、7月に 寅 とら 年生まれの名も寅子という年配の岸和田からの女性が、熱心に阪神の連覇を祈願していった そうだ。 長尾山 虎御前山 に住む美しい女性 虎御前と土地の長者 世々開 せせらぎ との悲恋伝説だが、町の名前はこの薄幸の女性にちなむという。 駅舎が刺激になって、周辺の既存の本町新興会 40軒 と五村繁栄会 20軒 の商店街にも この地でも商売ができる との意を強くさせ、効果も出はじめているという。 町役場産業振興課の村上一道さん 35 は この駅が町発展の大きな希望を抱かせてくれている と町民の声を代弁、将来へ夢を膨らませる。 直流化が実現する10月21日と22日の両日に記念イベント フェスタ in 虎御前 2006 を開催。 広い境内には重文の本堂 1730年建立 や表門 1674年 ほか、客殿 1796年 、太鼓楼 1793年 などの伽藍 がらん が囲み、地元民らが寺に寄せた信仰への熱い息吹を感じさせる。
shiga-np.co.jp
滋賀新聞-駅から町へ
http://shiga-np.co.jp/2006/061118eki.html
勤めて3年少しになるという北村喜栄さん 27 は 駅や電車のローカルな雰囲気が好きです という。 紫式部が 源氏物語 を書いた寺としても知られ、11月末まで境内の豊浄殿で 石山寺と紫式部展 も開催されている。 だが かつてほどのにぎわいはなくなりました と、料理店 湖舟 を営む徳永毅さん 66 は顔を曇らせた。 石山寺港の浮き桟橋前で切符を売っている久保種和さん 70 は 桜の季節もいいけれど、船から眺める紅葉はことに素晴らしい。 火曜 祝日の場合はその翌日 と年末年始 12月28日 1月4日 休館。
shiga-np.co.jp
滋賀新聞-駅から町へ
http://shiga-np.co.jp/2006/060923eki.html
明治22 1889 年に駅が開業した時、 黒煙が降り注ぐので危険だ と市街地から2キロ余も離れた田んぼの中に建設したため、旧市街地の観光ゾーンとを結ぶ広いブーメラン通りを歩く人は少なく バスで小幡町で降りて散策される人がほとんど 西川さん だという。 入ってみると 最近は南口の方がにぎやかになって観光客の方が間違ってこちらに降りてくるのを改めて北口に案内する場所です と店主の東野有見子さん 37 が苦笑いした。 近くの市営駐車場の福井司郎さん 73 が 以前は大半が近畿、中京ナンバーだったが、最近は関東、九州など遠方のクルマが増えてきた。 当初、永禄元 1558 年に蒲生郡蒲生野に金台寺として建立されたが天正8 1580 年、織田信長が安土城を築城した時にその城下に、さらに豊臣秀次が八幡山に築城した際に安土から現在地に移築された浄土真宗の大寺院。 電話 0748 33 2466。
shiga-np.co.jp
滋賀新聞-駅から町へ
http://shiga-np.co.jp/2006/061223eki.html
大正3 1914 年3月、近江鉄道 多賀 高宮間2 5キロが開通して多賀駅として開業、平成10 1998 年4月に多賀大社前と改称した。 大社の玄関口にふさわしい大きな石の鳥居をくぐると表参道 絵馬通り 写真下 だ。 何はともあれ、多賀名物 糸切り餅 もち を求める。 その一軒の 不二家 に入ってこの話を持ち出すと、主人の藤山禎一郎さん 67 は百もご承知。
SOCIAL ENGAGEMENT