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山田家のスピリット: 11月 2010
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12300;心優しく民の煩いを知る侍であった。」 鎌倉期の名僧無住国師がわが先祖山田次郎重忠について「沙石集」に書かれた一節である。その先祖の心で今の世相を見てみようと思う。 尖閣列島中国漁船の衝突の映像がUチューブに流され、海保職員が自分がやったと申し出た。おかげで、連日このビデオを、ほとんどの日本国民が見ることが出来た。マスコミのニュースにも、繰り返し繰り返し流されて、 この映像を流出させた、海保の職員には本当に感謝しないといけないだろう。 さて、この映像を見てもわかるが、その操船技術は、普通の漁船のものとは思われない。 だらか、中国政府はなりふり構わず、漁船員の無条件釈放を要求してきた。 今回のビデオは機密でも何でもない。真実を明らかにした事実の映像である。当然国民として知る権利のあるものである。 問題は中国漁船と、その乗組員、知られてはならない「機密]があった。 情報流出に問題があるのではない。中国漁船が何者で、ここで何をしていたのかが問題なのである。 突然ですが私の好きな曲 Asong of Peace. A Song of Peace. THIS IS MY SONG. But other ...
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山田家のスピリット: 8月 2010
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12300;心優しく民の煩いを知る侍であった。」 鎌倉期の名僧無住国師がわが先祖山田次郎重忠について「沙石集」に書かれた一節である。その先祖の心で今の世相を見てみようと思う。 承久の変の後、幕府方は戦後処理として、後鳥羽院を隠岐に配流するとともに、ほかの皇子たちも各地に配流された。その中で後鳥羽院の第4皇子、冷泉宮頼仁親王は吉備の児島に流された。ここは変(承久の変)の1年前に、都の騒乱を避けて、桜井宮覚仁法親王が、五流院の検校とやってきていた。 児島と言うのは、吉備の児島で、記紀の国生み神話にも登場する。子島である。 いまは児島半島と言われ陸続きになっているが、この時代までは、完全な島だった。源平合戦で有名な藤戸の闘いは、この児島に陣取った平家と源氏の闘いであった。 文武天皇元年、修験道の開祖役小角が伊豆に配流された時、5人の高弟が、難を避けるため、神輿を船に乗せ瀬戸内海に脱出、3年後の大宝元年に、児島に上陸、福岡村にご神体を安置し、十二所権現を祀って始まったのがはじまりである。 児島の五流尊流院には[児島高徳誕生の碑]がある。 同じ記事を [吉備楽土]. 12300;文化の創造」がコンセ...
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吉備楽土: 6月 2015
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現在の岡山県 かって吉備王国として栄えた地 ここには独特の文化が栄えてきた。平和な楽土を求め、渡来した人々がいた。 歴史に残る偉人を数多く輩出してきた吉備の国 その精神が生きる 混迷の日本 世界を生き返らせる道が 吉備の国にはある 楽土を築く夢がある. 戦後は国会議員を目指して立候補しようとしましたが、公職追放にかかり最初の選挙は断念せざるを得ませんでした。しかし続く参議院選挙では全国区で得票率トップで当選しました。 宇垣一成が掲げた軍縮の意図するところはなんであったのか?何故陸軍首脳は反対したのか?組閣断念に至るまでの経過はどのようなものだったのか?宇垣内閣が不成立に終わったその結果の日本の動向をどのように判断するのか?日本の近現代史の中でも歴史的に重要な位置に立っていた宇垣一成という人物だったと思います。 地元でも顕彰の動きがあるようですが、旧瀬戸町が岡山市に合併になり、旧瀬戸町で文化財保護で担当していた方も移動になり、その活動も弱くなってしまっていると聞きました。 12300;方谷の高弟三島中洲の思想とその影響-渋沢栄一等」 岡山人物銘々伝を語る会6月例会. 12288; テーマ:. 12288;...
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吉備楽土: 6月 2013
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現在の岡山県 かって吉備王国として栄えた地 ここには独特の文化が栄えてきた。平和な楽土を求め、渡来した人々がいた。 歴史に残る偉人を数多く輩出してきた吉備の国 その精神が生きる 混迷の日本 世界を生き返らせる道が 吉備の国にはある 楽土を築く夢がある. 古来中国の諸哲学の多くは、国を治めるもののあるべき道をといているはずだが、その教えに則った国はどうも現れていないようである。 12300;生活アシスト相談員」みたいなものが在ったらどうかな。とうい. アシストというとアシスト自転車を思い出す。普段は自力で走るが坂道とか、疲れて漕げなくなったら電動で応援してくれる。最近流行のハイブリッドカーなどもアシスト機能で燃費をよくしてくれたり危険を防止してくれたりする。 生活困窮者が世の中どれくらいいるのだろうか?低所得であったり、体に障害を持っていたり、精神的障害なども含めると世の中実に多くの人が困窮している。 誰が見ても死にそうな人は、行政も社会も放っておかないのだろうが、人知れず、誰にも相談できる人もなく、苦しんでいる人がたくさんいる。 12288; . 日)の例会は、 内山章子. 代の日本外交の中で&#...
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吉備楽土: 7月 2013
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現在の岡山県 かって吉備王国として栄えた地 ここには独特の文化が栄えてきた。平和な楽土を求め、渡来した人々がいた。 歴史に残る偉人を数多く輩出してきた吉備の国 その精神が生きる 混迷の日本 世界を生き返らせる道が 吉備の国にはある 楽土を築く夢がある. です。良かったら覗いてやってください。フェイスブックに参加されていたら友達申請歓迎です! Https:/ www.facebook.com/ryozo.yamada? 岡山人物銘々伝を語る会で「池田綱政と後楽園」の話をされた、杉嘉夫さんにご案内いただきました。豊富な資料と知識を駆使しながら園内くまなく案内していただきました。これまでしらなかった後楽園の秘密や見所をたっぷり紹介していただき、2時間があっと言う間に過ぎました。 7月27日(土)10:00~ 歴史懇話会です。テーマは「中世の備前、備中、美作」です。 しばらく、古代史関係が続きましたので、中世に行ってみたいと思います。 12288; 「岡山人物銘々伝を語る会」第. 12288; . 日)の例会は、 山陽学園大学教授の濱田栄夫. 12300;文化の創造」がコンセプトです...
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吉備楽土: 4月 2014
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現在の岡山県 かって吉備王国として栄えた地 ここには独特の文化が栄えてきた。平和な楽土を求め、渡来した人々がいた。 歴史に残る偉人を数多く輩出してきた吉備の国 その精神が生きる 混迷の日本 世界を生き返らせる道が 吉備の国にはある 楽土を築く夢がある. 今回は黒住教教祖「黒住宗忠を語る」と題して、黒住教教学局学院長の黒住信彰先生にお願いして話をしていただきました。 12288;黒住教は身近ですし、日頃から近所にある宗忠神社にも参拝させていただき、時折教祖伝なども目に触れさせていただいていましたので、おおよその生涯や教えの一端は聞いていましたが、今回黒住先生のお話を聞いてあらためてその偉大さを実感させていただきました。 宗忠教祖はいかに親孝行だったか~雨の日に父母が、下駄と草履と別々のアドバイスをくれた少年宗忠が、思案のあげく下駄と草履を両方の足に履いて転んだという逸話は有名ですが、何よりその背景にある親子の情の深さを信彰先生より伺い、納得することができました。 別のところで述べましたが「神様の開運を祈る」という境地にまで至ったことはとてもすごいことだと思いました。 26日は9:30平島ゆめタウン東側駐車...
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山田家のスピリット: 6月 2011
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12300;心優しく民の煩いを知る侍であった。」 鎌倉期の名僧無住国師がわが先祖山田次郎重忠について「沙石集」に書かれた一節である。その先祖の心で今の世相を見てみようと思う。 熊沢蕃山先生は「士(サムライ)は愛だ」とといたが、現代の政治家には「愛」があるのか?自己愛のほうが多い人間が多く見受けられる。自分が悪く思われないことだけを考えて政治の舵取りをしている人も多いように思われる。 わが先祖山田次郎重忠が「心優しく民のわずらいを知る侍」と言われたと何度もこのブログで書いたが、この心の優しさや民のわずらいを知る心が「愛」であろう。 会津の上杉庸山が養子として上杉家にはいるとき、その師は領主は民の父母であることを教えた。庸山公はその教えを堅く守って、藩政危機に陥った会津を救済した。彼の施は領民を救い、藩を上げての質素倹約と、殖産事業の推進は、財政破綻し、多くの農民が逃亡していた会津藩を豊かにし、その後の度重なる飢饉にも会津からは一人の餓死者も出さなかった。 Simple テンプレート. Powered by Blogger.
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山田家のスピリット: 1月 2012
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12300;心優しく民の煩いを知る侍であった。」 鎌倉期の名僧無住国師がわが先祖山田次郎重忠について「沙石集」に書かれた一節である。その先祖の心で今の世相を見てみようと思う。 山田家も新年を迎えました 益々、政治も経済も社会情勢も混迷を深めて迎えた平成24年 打開の糸口は・・・? 山田家のスピリットの中にそれがあると思います。 東日本大震災に示された天皇陛下はじめ皇室の方々の暖かい思いやりの心としぐさ それに引き換え、責任逃れと保身に右往左往する政治家や責任者たちのの醜い姿 問題は政経界に「心」ある人間がいないこと。 松下電器、今のパナソニックを創業した松下幸之助氏が創設した「松下政経塾」と言うのがあったがあれはどうなったのだろうか? 確か野田総理もその第一期生だったように思うが・・・ 今年も「山田家の心」を発信していきます。 ...Simple テンプレート. Powered by Blogger.
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山田家のスピリット: 4月 2013
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12300;心優しく民の煩いを知る侍であった。」 鎌倉期の名僧無住国師がわが先祖山田次郎重忠について「沙石集」に書かれた一節である。その先祖の心で今の世相を見てみようと思う。 12300;文化の創造」がコンセプトです。 未開の大地に新文化を創造する。そうやって開かれた吉備の文化・・・今は文化の再創造の時代。人類文化に新しい息吹を・・・・それが今のテーマです。最近、本大好き人間なので古本のネットブックショップ始めました。 連絡はbookskibiGメールに. Simple テンプレート. Powered by Blogger.
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山田家のスピリット: 4月 2012
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12300;心優しく民の煩いを知る侍であった。」 鎌倉期の名僧無住国師がわが先祖山田次郎重忠について「沙石集」に書かれた一節である。その先祖の心で今の世相を見てみようと思う。 小生、岡山歴史研究会の会員になっていますが、この30日に、岡山のさん太ホールで、総会と講演会、そしてパネルディスカッションが開催されます。パネルディスカッションのテーマは[山田方谷]小生も一族でもある山田方谷先生のことですので是非参加する予定です。会員外の人も参加出来るそうですので、近隣の方、是非ご参加ください。参加費無料だそうです。 佐渡さんも・・・. 満政の子孫は長男・忠重の系統が美濃から尾張、三河方面にかけて進出し、嫡流の 八島氏. からは 浦野氏、山田氏、高田氏、水野氏、足助氏、小河氏、小島氏、佐渡氏、木田氏、山本氏. など多くの氏族が輩出されたほか、次男・忠隆の系統は主に近江国を地盤として 善積氏や雨谷氏、和田氏など. を称した。また、三男・忠国は摂津国との関係が記録に残っている。(Wikipediaより). 他にも知り合いの人の中に同族の姓がいくつも・・・. 佐渡さんも・・・.