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玉造黒門越瓜また、畑には なにわの伝統野菜 玉造黒門越瓜 として復活したことを記念し、平成16年7月 社 大阪外食産業協会 により玉造黒門越瓜の石碑が建立されました。 大坂城の玉造門 現 大阪市中央区玉造1丁目 が黒塗りの門であった事から、この門を別名黒門と呼び、江戸時代この黒門付近で作られ名産となった瓜の事を 玉造黒門越瓜 たまつくりくろもんしろうり という。 江戸時代の狂歌師 貞柳は 黒門といえども色はあおによし奈良漬にして味をしろうり と一首とどめている。 江戸時代前期、大坂の越 白 瓜は主に西成郡で栽培され、木津村 今宮村が越 白 瓜促成栽培の祖とされた。 越 白 瓜の栽培が玉造村にも広がり、玉造の黒門付近で良質の越瓜が採れたことから玉造黒門越 白 瓜と呼ばれた。 玉造では貞柳 1654 1734 の狂歌や安永6年 1777 難波丸綱目 の 浪花名物寄 白うり 玉つくりくろもん 、 玉造 白瓜市 などの所載から1700年代前半には玉造で越 白 瓜が栽培 商いされていたと考えられている。 当時、玉造でこの越 白 瓜に関わる重要な人物が玉造有力町人 高津屋吉右衛門 玉造平野口町町年寄 であった。
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